リリリ… 辺り一帯、闇に支配された蜀の陣では、 秋虫の求愛の声が辺りに木霊し、そよぐ風が木の葉を、草を揺らしていた。 篝火の煌々と燃える赤がいたるところに見えて。 何時来るか分からない夜襲に備えてだろう、幾人かの兵卒が陣内を見回る姿があった。 それは勿論、君主である劉備の天幕も例外ではない訳で。 むしろ、他の天幕より厳重なものであるはずだった。 |
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何気ない仕種の中に ある何か。 何時もと違う ほんの些細なことに。 人間は惹かれ 焦がれ 知らず知らずのうちに求めるものなのです。 ぬくもり
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「劉備様。まだ起きておられますか」 陣内の奥まった場所にある天幕の中。 戦を明日に控えて昂ぶった精神を落ち着かせるため、黙々と書を読んでいた劉備に、 ふいに外から声が掛かった。 自分が寝ているかもしれないとを危惧してのだろう。 どこかおそるおそるした声に、多少の苦笑を混じらせ是の返答を返し、中に入るように促してやる。 「何かあったか…」 「あぁ、大有りだ」 ガサリと大きな音を立てて、幕が上がる。 劉備は書を傍らに置き、居住まいを整えて…そこに立っていた人物に驚愕した。 「…っ。曹操殿っ!!…な……」 「しっ。そのような大きな声を出せば儂がここにいることがばれるだろうが」 そのまま素早く天幕に入り込んで、今にも声を荒げそうな劉備の口を塞ぐ。 静かにせんかと指を唇に翳し、天幕への侵入者―――曹操は、ニヤリと笑った。 「ったくワシがおぬしに様などつけて呼ぶなど…一生ないと思っておったのに」 おぉ…なんだか鳥肌が立ってきたわ。慣れぬ声音など使ったからか。と曹操はひとりごちる。 「何故貴方がここに。…ってその格好は」 「あぁ…ここに忍び込むためにちょっとな…」 何が何だか分かってない頭で、唯一分かったこと――そうなのだ。 彼の出で立ちは、普段の青を基調としたものではなく、蜀の兵卒のそれ。 そこはかとなく、違和感が付きまとうのだが。それは自分が彼を知っているから。 知らぬ者が見たら、よく見ない限りは大丈夫だろうとは思う……思うのだが。 「…儂ってば、緑も結構いけると思わんか?」 「そんな暢気な。ここが何処だか分かっていらっしゃるのですか!!」 「何処って、蜀の総大将の天幕であろう?儂も其処まで馬鹿ではないわ」 どこか満足そうにも見えるその笑みは、事の重大さなど微塵も感じていないよう。 ふんと鼻を鳴らす様は、何故か自慢気だった。 流石、乱世の奸雄といったところだろうか。否、ただの阿呆か。 どちらかを問うのを惑われる目の前の人物に、普段温厚な劉備も遂に業を煮やし、 「十分馬鹿です」 「煤i ̄□ ̄;)」 一刀両断にばっさりと斬り捨てた。 身も蓋も。底さえも最初からなかったかのような強烈な一言で・・・流石の曹操も動きを止める。 互いに見つめあったまま。微妙な沈黙が降りた。 「……」 「……」 沈黙に乗じて、先ほどまで鳴きを潜めていた秋虫が再び鳴き出し、 お前達だけで盛り上がるな。自分達もいるんだぞとばかりにその存在を誇張していた。 「・・…主も言うようになったな…」 「曹操殿のお陰ですよ」 「・…………」 なんとも言えぬ笑みが劉備の顔に浮かび。 曹操もまた、目線を逸らすことなく…へらりと笑みを浮かべた。 「とにかく、何故ここにいらっしゃるんですか!明日から戦ですよ」 「うむ。これには山より深く、谷より高い理由があって…」 「…逆ですよ。逆」 「話の腰を折らずに、まぁ聞け。 さっきまで向こうで大人しくしておったんだがな。何故だか急に主に会いたくなって…… 居ても立ってもいられなくなったものだから。これでは明日の戦に支障が出る。と確信してな。 こうしてちょっくら蜀の陣内に忍び込んでみたという訳だ」 「…それで、その格好ですか」 「うむ。にしても、こんなにうまく忍び込めるとは思わなんだ」 見つかったら、二,三人は、剣の錆にしてくれる腹積もりだったからな。 ま。余計な殺しをせんでよかった、よかった。とケラケラ声を上げた。 「2.3人斬ってまで、忍び込むおつもりだったと」 「……玄徳、お主儂の話を聴いておらなんだか?」 「は?」 「だから。儂は主に会いたくなったから、忍び込んだのだぞ。目的果たさずにおめおめ帰れるか」 目的を阻む障害は、何であろうが。誰であろうが斬る!! とのたまう曹操を見ていると、いい加減、頭が痛くなってくる。 普段、魏にいるときもこんななのか…と考えて、 この男を補佐する立場の人間は、これ以上なのだと思うとひどく同情した。 最早、ここまでくると、怒りよりも呆れ。 「全く…そのようなことばかりおっしゃっていると、いつか足元を掬われますよ」 「儂の脚を掬うのは、主だけであって欲しいがな」 「では今からでも、掬わせていただきましょうかね」 「はは・・・やれるものなら構わぬぞ。主には出来ぬだろうがな」 「分かりませんよ、そのようなこと。幸いに今、あなたはひとりだ。私が外に声を掛ければ……」 「出来ぬよ。主には」 劉備の言葉を遮って、曹操はことさらゆっくりと否定の意を示した。 一体今までお茶らけていた彼は何処へいってしまったのか。 こちらを見つめる灰色の瞳は、波紋を浮かべる穏やかなものであったが、それでいてどこか威圧を感じさせる何かを持っていた。 「…な、何を根拠に……」 「主は、儂と違ってそのような卑劣な手は使わぬ男だと信じておるからな。 それとも…このまま殺るか?」 のぉ?玄徳。と目を細めて、笑った。 何もかもを封じてしまう笑顔で。 これでもかというぐらい楽しそうなその顔は、劉備に反論の言葉も口をつくことを許してくれなかった。 「どうだ? 出来ぬであろう?」 いつの間にか背後に移動してきた曹操が、耳元で口を開く。 普段しない顔を見せられてしまったら、人間とはとても弱いもので。 例え相手が、どんなに子憎たらしい相手でも、許せてしまえるから不思議だ。 一瞬でも、あぁ。この人は幸せなんだ。満たされてるんだな。ことが窺えるから。 それは当然劉備も同じで、ふぅとひとつため息を漏らすと、 「…曹操殿には勝てませんね・・」 これ以上は無駄だと、諦めて自ら白旗を揚げ、後ろの男に身を委ねた。 耳元で確かに動く鼓動を感じ、目を閉じる。 普段と異なり、 曹操は、普段の煌びやかな服装ではなく至って軽装で。 劉備もまた、夜とあって夜着で。 隔ての薄い服装のせいで暖かくて。 一時だけ、君主である自分を忘れられるような気がして。 何より、互いの体温をより感じることで、すぐ傍にいると自覚させてくれた。 「どうした?今宵はヤケに大人しいではないか。ん?」 そのまま、背後から包み込まれる感覚が心地良くて。 身を委ねていると、物珍しそうに。お主らしくないな。と揶揄するような穏やかな声が振ってきた。 「さぁ…戦が近いからではありませんか?」 曹操の声に伏せていた顔を上げると、首から上を背後に向ける。 「一応、そういうことにしておくか……」 「しておいてください。一種の気の迷いということにですが」 「全く…その、子憎たらしい口は未だ健在なようだな…・・・・」 「曹操殿に言われたくありませんね」 「まぁ、そう言っておられるのも今のうちよ。直にそのような減らず口叩けなくしてやるわ」 ぬくもりが欲しければ 迷わず求めなさい 甘く 緩やかな時間に身を委ねて 今宵は ひとりの力なき人間に戻りましょう 同じ業を背負う 赫く鳳凰 同じ業を背負う 翠龍 そっと 寄り添って そっと 背を合わせて 安堵に手を伸ばしなさい ほんの一時でもいいから 振り翳す剣をしまい 微笑いなさい 自分が 弱く 儚く 強い ひとりの人間だと認めなさい 明日からを乗り切るために―――――…
Fin
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